イタリアの統合教育

イタリアの統合教育(B)2015夏
Integrazioni scolastica dei bambini disabili

   ~日本での統合教育推進に興味・関心を持っていただけると嬉しいです~

お盆の数日前、横浜に出向いて、イタリアから一時帰国中のかなえちゃんとママに会って来ました。
かなえちゃんはニコニコと笑顔が素敵な、今年15才になるダウン症のお嬢さんです。
イタリア暮らしは9年目で、今ではすっかり日本語とイタリア語のバイリンガルになりました。
かなえちゃんが彼の国に暮らすきっかけは、パパのお仕事の関係でした。
2007年から、一家はフィレンツェに暮らすことになりました。
彼女は日本の小学校では特別支援学級の1年生を終えていましたが、イタリアに渡ってから日が浅いこと、発達におくれがあることもあって、公立小学校に入学ピカピカの一年生からやり直すことになりました。

イタリアでは、1971年教育法104条<いかなる障害を抱える子でもすべからく同じ教育を受けるべき>の思想のもと、ヨーロッパで一番初めに養護学校が撤廃されて、統合教育が始まりました。
障害児のためだけでな<健常児のためにも理想的な教育を>という理念の下、様々な教育制度が整えられて現在に至っています。

小学校は、1クラスあたりの生徒数は25名で、主担任と補助教員2名、計3人の先生で教室を運営します。
授業が始まると、養護教諭が、かなえちゃんの横に座って、手助けしてくれます。この養護教員が、単なる学習の補助にとどまらず、うまくクラスに馴染めるよう…など様々な角度から知見を駆使して導いていくのです。

このような恵まれた環境のおかげか、かなえちゃんもずいぶん開放的な性格になって行きました。
かなえちゃんは、滞在許可証はあるものの外国人です。しかし教育費は無料、さらに障害をもつため医療費は無料と、イタリア人の子どもと同等に扱われています。

学校では6ヶ月に一度、P.E.I.とよばれる連絡会議が開かれます。参加者は、父母・小児精神神経学医・教師・ソーシャルワーカー・言語療法士・放課後に支える校外の補助教員など10名ほどが一同に会し、次の6ヶ月の教育方針について話し合うのです。かなえちゃんのママは初め、イタリア語で進む会議の流れについていくのがやっとで、議論に参加するのもひと苦労でした。これは日本語でも難しそう!

イタリアの統合教育が始まって、既に44年が経ちました。今や統合教育は立派な歴史となり、かなえちゃんの同級生のパパもママもおじいちゃんもおばあちゃんも、<みんな一緒に>の統合教育を通ってきました。歴史が心も育んだのでしょう、障害児に対して偏見も差別もなく、<困っているな…>と見ればみんなが助けてくれます。

パパの仕事に区切りついた後も、統合教育の素晴らしさに出会ったお陰で、かなえちゃん母子はその後もフィレンツェ在住を続けました。
かなえちゃんは小学校を卒業後、中学校に進学します。ここでも手厚い教育支援を受けながら、のびのびと成長しました。先生たちも、かなえちゃんはイタリアで教育を終え、就職することを前提に、しっかりと面倒をみてくれています。

いよいよ2015年9月からは、公立高校に進学します。かなえちゃんが進む高校は服飾系。ママによれば高校は5年制で、3年間は基礎教育、後2年は専門的教育になるようです。

かなえちゃんは言葉が不自由で、いまだに思ったことを適切に伝えることができません。小学校4年生から5年間、放課後音楽教室でコーラスをやっていましたが、次は演劇に変えようかと考えています。課外活動で演劇をやれば、呼吸・発声・発語それぞれの訓練もあって、言語能力も向上するかもしれない、
身体表現なども加われば、さらに意志伝達しやすくなるのではないか・・・思わず『素晴らしい選択ですね!』と言葉が走り出ました。

私のイタリア人の友人の孫も軽度の知的障害があり、落ち着きがなく勉強は苦手です。ならば・・・とドラム、ピアノ、声楽をやっています。
次は演劇コースに行かせると言っていました。イタリアには障害を持つ子供が手を伸ばせば、試すことが出来るコースが多種類・多方面にあるのです。

かなえちゃんは放課後週2回、障害や家庭環境に問題がある青少年対象のグループ活動に通っています。
ここでは皆で宿題をやったり映画を見たり、遊んだりして過ごします。これまでは自宅から教室まで、ボランティアの介助者が付き添ってくれていました。
しかし中学も卒業するので、そろそろ自分一人で通えるようにと、訓練を始めました。教室までの道筋の要所・要所から、ママに電話連絡しながら、一人で移動します。

自宅を出発→大聖堂の前に到着、ママに電話→ヴェッキオ橋に到着、ママに電話→ピッティ宮殿に到着、ママに電話→目的地に到着、ママに電話。同時に指導員からも確認の電話。

訓練開始の頃は、大聖堂前でボランティアと待ち合わせ。これを徐々に、待ち合わせ場所を遠くへもっていき、最後は自宅からゆっくり歩いて40分ほどの道のりを一人で歩いていけるようになりました。
帰りは教室のすぐ近くにバス乗り場があるので、バスに乗って1人で家に帰って来られるようになりました。
グループの指導員がバスの運転手さんに『この子を××でおろしてください』と伝えると、ぶっきらぼうに見える運転手さんでも、ちゃんと頼んだことをやってくれるそうです。

パパは日本で単身赴任中!? このかなえちゃん一家の選択と決断も稀なこと。驚嘆いたしました。

かなえちゃんの前途に幸いあれ!

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守山養護学校が85年に創立され、父母の会が出来てよりお付き合いを頂いて障害を持つ子のことを知りできることを少しずつやってきました。
文末補足に記した体験を2000年にし、また今夏かなえちゃんの聞く機会を得ました。 

補足1)日本では、・統合教育・インクルシーブ・ノーマライゼーションなどが同意語的に使われています。

補足2)イタリアのクラス担任現行は、担任と補助教員1名の計2名となりました。
2000年秋見学した折は、障害児がいる学級は15名、16名になると2クラスに分けて8人になっていて、これってクラス?サークル?と疑問になったほどです。財政難からの移行です。

補足3)名古屋に4校の特別支援学校(養護学校)がありますが、守山養護学校は、1985年に創立され30年の年月が流れました。

補足4)タイトルに(B)を付けたのは以前書いた2000年秋のイタリア統合教育現場見学体験を(A)としたためです。

いしかわあいこ